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ほりぴ~のまち歩きあれこれ
【満員御礼】渡し船で巡る出雲風土記の里
【満員御礼】お申込みありがとうございました。 矢田の渡し船とのタイアップにより、かつて出雲の南北官道 […] -
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『松江城下町今昔絵図』が マップon島根 に加わりました。
2013年(平成25年)2月に発行された 『松江城下町今昔絵図』が マップon島根 に加わりました。 […] -
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「不昧公の残した松江探訪」第一弾 新聞に掲載されました。
9月24日(月・祝)に催行した 「不昧公の残した松江探訪」第一弾 “不昧公お抱えの指物師 小林如泥の […] -
ほりぴ~のまち歩きあれこれ
活動が朝日新聞で紹介されました。
「名物ガイドは 今日も歩く」 日頃の “まちあるき” の活動が朝日新聞「しまねの人」で紹介されました […] -
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「松江まちぶらり」⑪ 中原・百姓町界隈
松江城築城(約400年前)の時、近隣の農村からたくさんの人が集まり「町」を形成していったと云われてい […] -
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「松江まちぶらり」⑩大正町界隈
大正町界隈は、もともと低湿地水田地帯でしたが、1908年(明治41) の松江駅開設に伴う工事で埋め立 […] -
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「松江まちぶらり」⑩ 歴史と文化の外中原界隈
松江開府の時代より歴史と文化が積み重ねられた「外中原界隈」 月照寺前から愛宕神社界隈を歩いてみましょ […] -
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「松江まちぶらり」⑨ 旧山陰道街道
雑賀町の洞光寺下から円城寺界隈の道は「旧山陰道街道」と呼ばれています。 かつて、乃木や玉造への往来で […] -
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「松江まちぶらり」⑧ 寺町昭和町界隈
山陰線高架の南側 このあたりを「寺町・昭和町」と呼んでいます。 昭和2年の白潟・灘町大火で罹災した人 […] -
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「松江まちブラリ」 ⑦ 北天神界隈
白潟天満宮のある天神町 大きく分けて 北天神・中天神・南天神と呼んでいます。 今回は松平不昧公に縁の […] -
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「松江まちブラリ」 ⑥ (松江大橋北詰界隈)
松江開府以前(元禄年間)から白潟と共に商業の中心地として栄えた「末次・松江大橋北詰界隈」 そこには、 […] -
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「松江まちブラリ」 ⑤ (新雑賀町界隈)
「新雑賀町」と云う町名が出来たのは、大正10年(1921)1月18日のことです。 江戸期の文久年間( […] -
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「松江まちブラリ」 ④ (塩見縄手界隈)
松江城の北にある「塩見縄手界隈」 城下町では、縄のように一筋に伸びた道を縄手と言います。 この場所か […] -
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「松江まちブラリ」③(伊勢宮・御手船場界隈)
伊勢宮と云う名前が出てくる記録は、寛永の時代(江戸期1600年代) 松江藩主 松平直政が “ 伊勢宮 […] -
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新シリーズ「松江まちブラリ」②(大橋川界隈)
「松江まちブラリ」(大橋川界隈) 大橋川界隈と言えば 柳並木 これは、昭和6年の末次本町ほか6町の大 […]