「松江まちぶらり」⑩ 歴史と文化の外中原界隈

松江開府の時代より歴史と文化が積み重ねられた「外中原界隈」 月照寺前から愛宕神社界隈を歩いてみましょう!! 「松江城下町今昔絵図」編集協力:まつえ・まちづくり塾(2013.2) 松平藩主の菩提寺として知られる「月照寺」 […]

「松江まちぶらり」⑨ 旧山陰道街道

雑賀町の洞光寺下から円城寺界隈の道は「旧山陰道街道」と呼ばれています。 かつて、乃木や玉造への往来で賑わっていました。 『松江藩釜甑方』玉木勲氏 編著より転載 道幅も かつての街道と同じぐらいの幅で、車がギリギリすれ違え […]

「松江まちぶらり」⑧ 寺町昭和町界隈

山陰線高架の南側 このあたりを「寺町・昭和町」と呼んでいます。 昭和2年の白潟・灘町大火で罹災した人達の住宅再建場所として整備されました。 また、この通り(高架の南側)は「アベック通り」と呼ばれ、娯楽・遊興施設のあった […]

「松江まちブラリ」 ⑦ 北天神界隈

白潟天満宮のある天神町 大きく分けて 北天神・中天神・南天神と呼んでいます。 今回は松平不昧公に縁の深いお店を歩いてみます 写真は、昭和の初めの北天神界隈。現在の彩雲堂付近から北側を見たところです。 昭和30年代の写真 […]

「松江まちブラリ」 ⑥ (松江大橋北詰界隈)

松江開府以前(元禄年間)から白潟と共に商業の中心地として栄えた「末次・松江大橋北詰界隈」 そこには、元材木商を営み、明治に入り洋小間物・時計商を創業された「原田創美堂」さんがあります、 ここには、松江大橋と並び松江のシン […]

「松江まちブラリ」 ⑤ (新雑賀町界隈)

「新雑賀町」と云う町名が出来たのは、大正10年(1921)1月18日のことです。 江戸期の文久年間(1861)に それまで雑賀町に住んで居た足軽鉄砲衆が この地に移されたことから「新鉄砲町」になり、明治には「松江分新丁」 […]

「松江まちブラリ」 ④ (塩見縄手界隈)

松江城の北にある「塩見縄手界隈」 城下町では、縄のように一筋に伸びた道を縄手と言います。 この場所から城が見えることから、かつては「城見縄手」と呼ばれ中級武士の屋敷が並んでいました。 ここに住んでいた塩見小兵衛と云う武士 […]

「松江まちブラリ」③(伊勢宮・御手船場界隈)

伊勢宮と云う名前が出てくる記録は、寛永の時代(江戸期1600年代) 松江藩主 松平直政が “ 伊勢宮 “ と云う神社を この地に造った時からです。 近くには “ 売布神社 “ があり、松花橋を渡ってお参りしていたようです […]

新シリーズ「松江まちブラリ」②(大橋川界隈)

「松江まちブラリ」(大橋川界隈) 大橋川界隈と言えば 柳並木 これは、昭和6年の末次本町ほか6町の大火の後の復興計画で 当時 流行っていた流行歌「銀座の柳」をヒントに植えられたそうです。 次に「トラヤビル」 1932年( […]

「ヘルンまちぶらマップ」づくり

今回 第13回「ヘルンさん子ども塾」で、まちぶらマップづくりの特別講師をさせていただきました。 松江市観光文化課主催、塾長の小泉凡先生はじめ10名の実行委員会の方々と行いました。 子どもの参加者は10名 3回の講座では、 […]

【出雲ビルに新しい店舗】

1925年(大正14年)に出来た築91年の「出雲ビル」 この出雲ビルに8月8日新しい店がオープンしました。 島根の工芸と食を組み合わせたギフトセットにくわえ、YUTTEがセレクトした地元の食品も販売します。この土地の文化 […]

新シリーズ「松江まちブラリ」

久しぶりのブログ更新(笑) 今回より松江マーブルテレビ「松江マチブラ手帖」の放送に併せ、まち(街・町)の話題(情報)をお届けします。 新シリーズ1回目は「松江 駅本通り」 明治41年11月8日 米子・松江間の鉄道が開通。 […]

出雲ビル(白潟本町)

400年前の松江開府以前から、水運の要所として町場が形成されていた白潟地区。 かつて、他国から移り住んだ豪商の名前を冠した「肥後屋小路」「伊予屋小路」などの通りが今も残っています。 その中心部にある白潟本町商店街で、ひと […]

「まちあるき」で見たもの ②

松江の片原町にある古民家 かつては染物業を営んでおられたそうです。 今も残る「染」の文字の入った看板が当時を偲ばせます。 中に入ると「絹布染所」の表看板と「清山穂太郎」と書かれた暖簾がありました。 松江らしい静かな佇まい […]