「松江まちブラリ」 ⑥ (松江大橋北詰界隈)

松江開府以前(元禄年間)から白潟と共に商業の中心地として栄えた「末次・松江大橋北詰界隈」

そこには、元材木商を営み、明治に入り洋小間物・時計商を創業された「原田創美堂」さんがあります、

ここには、松江大橋と並び松江のシンボルとしての「時計台」が時を刻んでいます。

現在のデザインは4代目

平成8年(1996年)に創業当時のデザインを復元し、作曲家 小林亜星作のオリジナル曲「時計台のうた」が時を告げています。

社長さんの話では「江戸期は庶民に時を告げるのは主にお寺の鐘。明治に入り、時計は庶民にとっては高値の華」そんな時に「庶民に時を知らせるモノとして、先代が時計塔を設置」されたそうです。
今流で云うところの企業の社会貢献(CSR)でしょうか。

次の写真は2代目のデザインの時計塔

明治29年(1896年)創業20周年の年に設置されたスイス製の時計塔

現在は、1階の店頭に展示されています。

写真提供:今岡ガクブチ店さま(松江市天神町)

昭和30年代の 3代目デザインの時計塔

2代目・3代目の時計塔とオリジナル曲「時計台のうた」のCD
また、近くには明治12年5月に設置された「松江電信分局」の電信発祥の地の記念碑があります。

のちに明治22年郵便局と合併し白潟本町(現 市民活動センター)に移されました。
この他、近くには「森永キャンデーストア」があり、洋風の喫茶・レストランとして当時の松江市民の憧れの場所でした。

このあたり一帯を「京店」と呼んでいますが、享保9年(1724)松江藩五代藩主「宜維(のぶすみ)」に公家の息女「岩姫」が降嫁された時に京風の町並みを作ったのが「京店」の始まりとされています。

また「京店」は小泉八雲とも繋がりが深く、八雲が松江時代にビールを買いに行っていたと云う山口薬局やカラコロ広場などがあります。

歴史と伝統・文化に培われた「松江大橋北詰界隈」をブラリ歩いてはいかがですか?

 

 

  • ブックマーク