まち塾サロン2015・4月号「白潟今昔物語」開催しました!

明治時代の白潟小学校
昭和31年ごろの白潟小学校 写真協力:白潟歴史まち歩き楽会

まち塾サロン 2015 4月号も、にぎやかに開催されました。

今回お世話になりました しゃべり手は、松江のまちあるきのスーパーガイド、堀江一夫さん。

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堀江一夫さんです。知る人ぞ知る松江まちあるきマスター

ガイドとして日々ご活躍の中、その頭の中の情報量はハンパなく膨大です(^^
最近は、生活情報誌vibeでも、松江のまちなかを中心とした面白いネタ披露の連載もされているほど。
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まちあるきガイド中の堀江さんの図。松江市街地に数本しか残っていない木電柱にすりすり(^^

今回は、そういったたくさんのネタの中から、ご自身の生まれ故郷でもあり、まち塾事務局もある白潟地区について、「白潟今昔物語」と称して、歴史模様をお話いただきました。

今回のサロンも、初めてお越しいただいた方、数回目の方、そして常連さんが入り混じった10人ちょっとの集まりでした。白潟ご出身の方や伊勢宮町ご出身の方がおられると思ったら、岡山ご出身、はては岐阜ご出身の方もおられました。年齢層も大学生から、お元気な後期高齢者(^^;、(失礼しました))の方まで、今回も多国籍(笑)。
毎度のことながら、乾杯と簡単な自己紹介で全員の口をなめらかにしつつ(笑)、堀江さんのお話から口火をきっていただきました。
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堀江さんの今昔物語をワイワイと聞く参加者のみなさん

プロジェクターに映し出されるのは、江戸時代以前の古文書という ひじょ~にマニアックなもの(笑)もあれば、たくさんの昔の写真(地元の方々にとっては、大変に懐かしい)、時代時代の白潟地区の地図など、もりだくさん!!! 次から次へと出てくる、懐かしくも大変貴重な資料の数々に、参加者一同、プロジェクターから目が離せない状態(笑)。
そして、その映像をネタに、さらに広がりを見せる堀江さんの解説・持論推論。
参加者も記憶をよみがえらせながら、あるいは、妄想しながら、今昔絵巻を楽しんでいました。

たとえば、当日のほんの一部
・1500年代後半の古文書を読んでいくと、商港としての白潟地区の記載がある。また、当時の日本が描かれている古地図にも「白潟」の地名(漢字は異なっていましたが)が明記されている。松江は堀尾吉晴公によって、1600年初頭に普請・開府された町というけれど、少なくとも白潟の地は、それよりもずっと以前から、地域の商港として栄えていた。
・戦後に建てられた白潟小学校(現在のNHK付近)は、木造2階建ての大変大きな校舎で、当時体育館(講堂)が二つあった!!!(冒頭の写真です)。(この際の説明では、写真とともに学校の平面図までご紹介がありました)。ちなみに2つの講堂の使い方は「高学年用」と「低学年用」だったとのこと。
・最後の白潟小学校(RC造3階建て)は、実は地元の寄付が財源の多くを占めていた。(ので、当時「白潟町立小学校」とも言われていたとかいないとか(笑))
・現在の白潟公園あたりはかつて埋め立て地で、水上飛行機飛行場だったり、市民プールがあったりした。
  城崎までの飛行機が飛んでいたとのことで、なかなか粋なフライトルートですよね(^^
  市民プールはかつて、今の市役所や末次公園あたりにあったものが、老朽化に伴い、この白潟の埋め立て地に作り直された。
・宍道湖大橋南詰から国道9号にいたる現在の道路は、その埋立地との間を流れる人工的水路だった。なぜ、まとめて埋め立てなかったのか??といえば、当時街から流れ出る生活排水が、直接宍道湖に流れ出ないようにするための、「干渉水路」的な役割だったとのこと。

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プロジェクターに映るたくさんの写真の中の1つ、白潟小学校講堂内の様子。ピアノは海外製とのこと!どこまでも深い情報!!

とまぁ、そんな話がでてくるでてくる(^^。
参加者も、ほぉっと感心したり、ご自身の経験談を話されたり、わからないことを質問したり、それに対して回答あったり、みんなで妄想したり(笑)。
そして、ごく最近明確になった、出雲ビルの竣工年のお話などご紹介いただきました!

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プロジェクターだけでなく、手持ちの資料もたくさんの堀江さん。

慣れ親しんだ松江のまんまんなか白潟、ごくごくシンプルに「商店街」とか「中心市街地」っていうには、もったいないくらいの歴史重層性があって、それはとても魅力的で面白い、堀江さんのお話を呼び水に、ご参加いただいたみなさんからの、さらなるネタや感想や、やんややんやの盛り上がりの中から、つよ~く感じたサロンの夜でした(^^
ちなみに当日は、お酒やおつまみなど、たくさんの差し入れもいただき、とてもいい気分でした(笑)。お持ちいただきましたみなさま、本当にありがとうございました(いや、サロンご参加に「差し入れ必須」という、そんなわけでは決してありません(笑)が・・・・ 大歓迎します(^^)
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飲みながらも、堀江さんからどんな貴重な資料が出てくるか、興味津々の参加者の図

さて、今回のサロンをご案内する際に、ご紹介した下記の写真(^^
これはいったいなんの写真だったのか???
白潟本町源助祭り
答え:源助まつりで、白潟本町の商店に勤めていた人達が踊っていた河童おどりです。河童を源助に見立てたものなのでしょう。写真提供 白潟歴史まち歩き楽会
源助とは、言わずと知れた、松江大橋架橋の際に「人柱」となったといわれる伝説ですね。それが真実なのか、大橋架橋の難工事を象徴するための話なのかはここではおいときますが、当時の白潟本町に働いていておられた方の、秀逸なセンス!!!!! に、ほれぼれします。
ちなみにおなかの「ロゴ」は、白潟本町のものです。この形も相当にカッコいい!!!

こんな話の宝庫のまま、今回もあっという間に時間となったサロンでした。
ご参加いただいたみなさん、しゃべり手の堀江さん、本当にありがとうございました。

そして次回は、5月29日の開催予定。こうご期待!ください!

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