さて、このジオラマはいったい何でしょう?? 答えは後半で(^^
まち塾サロン11月号「謎解き!島根の山城」 去る11月28日(金)の夕方から、たいへんにぎやかに開催されました!
今回のしゃべり手は、島根県立八雲立つ風土記の丘資料館グループリーダーの高屋茂男さん。
出雲地方の山城を調べ続けておられる、屈指の山城研究家。
この日は、中世時代の山城の概略から、その調査の仕方、山城跡の歩き方、楽しみ方などのハウツーを、たくさんの資料やこれまでのご経験をもとに、わかりやすく、面白くお話いただきました。
今回のしゃべり手となっていただいた高屋茂男さん おだやかな雰囲気、口調なのですが、語っていただいた内容は濃い!
まずは、参加者それぞれがいつものように簡単に自己紹介いただきました。
今回は、初ご参加いただいた方が多く、開催者としてはこれもまたほんと~~にうれしいことでございます(^^
松江サブカルスポットまち塾サロンの認知度、ちょっとあがってきてる??
一方で、複数回お越しいただいている方ももちろんおられて、これまでの開催を楽しんでいただけているものと、これもまたうれしく思ったりしております。
そして、自己紹介の最後に、今回のしゃべり手高屋さんの自己紹介から、本題へと移っていきました。
ほんとの最初のうちは、まだ若干の緊張気味もあり、高屋さんのお話をうかがう状態なのですが、まもなくワイワイとなります(笑)
さて、高屋さんによる 島根の山城の謎解き話。いつものサロンのように盛りだくさんでとても全部を紹介できないのですが、簡単にかいつまんで概要を。
島根でお城といえば、まずは松江城でしょうか??あるいは、津和野城? 月山富田城??
いずれも有名! 確かに、大きいし、今も大きな石垣などがあったり、立派な天守閣があったり。
しかし、何を隠そう、島根には、かつて相当にたくさんの城があったのです。
その数ざっと1200!!!!!!!
1200です!12とか120ではありません(笑)。
これは、島根が特別多いというわけではなく、全国津々浦々あったとのこと。
いわゆる江戸期より前の戦国時代、すなわち「中世」において、純粋に戦を繰りひろげるために、当時の人がその折々で普請した城の総数です。
松江だけでも、松江城(かつては末次城とのこと)のほか、荒隈城(南平台付近)、白鹿城(ソフビ付近)、真山城(同じくソフビ付近)、茶臼山城(茶臼山)、和久羅山城(和久羅山)などなど、数えれば10を超える山城があったのです。
よくイメージするたか~~いい石垣や、りっっっっっぱな天守閣というよりは、地域の小高い山をうまく活用し、そこに土塁とか、空堀とか大きな畝などで地形を形成した城が大半なのですね。
どうしてそんなにたくさんの城がつくられるのか??
松江をはじめとする出雲地方にある山城の多くは、主には戦国時代における、尼子氏と毛利氏との戦いの中で活用された城とのこと。
尼子氏の本拠地であった月山富田城(戦国時代に日本屈指の難攻不落とうたわれた中世山城の代表格の1つなのです!)をせめ落とすために、ひろ~~~っく包囲網をつくるためのお城もあったり、一方尼子氏も本拠地だけではなくて、その周辺地域にたくさんの支城をつくったりして(松江市内白鹿城は尼子氏の支城なのだとか)、陣地の取り合いの拠点として城をたくさんつくったわけですね。
高屋さんたちが調査された、出雲の山城50選です(出典元:高屋茂男編 出雲の山城)。知らなかった山城がたくさん!)
そんな城がなんしか、戦国時代にはここかしこにたっくさんあったらしいんです。
う~ん、なんともあぶなっかしい時代のような(^^;、また、なるほど戦国時代とはそんな時代なんだとちょっとリアルに感じたり。。。
その中世時代の山城、本丸とか建物、あるいは木塀などは、当然ながらほとんど取り壊されており、跡形もないのですが、しかし山を切り崩したり、平地を作ったり、土塁を盛ったりしていた、「土地の造成」の状況はいまだに多く残されているんですね。
もちろん中には、当時の様子を伝える石垣跡もあったりする!!
高屋さんはじめとする中世山城を研究される方々は、そういった山城の痕跡を、現地踏査してしらべ、メモし、整理し、縄張り図という、山城の地図にされるわけです。
山城の話を聞きつつ、興味津々の参加者さんたちの図。知らない世界にワクワク
現地を歩き、長さをはかり、いろいろ調べてできあがった、茶臼山城の縄張図の様子。なぜこんなん描けるのか不思議?(@@?)(サロン当日は、縄張図の資料もあってわかりやすかったのですが、画面ではこれが精いっぱいでした)
ちなみに、冒頭の写真の答えですが、茶臼山城の様子を高屋さんご自身でジオラマにされたものでした! すげ~~!!
さて、続いては、山城跡の歩き方についてのお話。
山城跡といいましても、普通に見れば、山なんですね。ちょっとした小山。地の起伏も植物の様子も、一見普通のお山なのです。その山をどのように歩くと、あるいはどこを見ると「山城」としてそのしくみを垣間見ることができるのか??
素直に高屋さんにお伺いしたところですね、一言、
「経験者の方と一緒に歩いて、教えていただいて、その後は、数を重ねて調べる。 ま、修行ですね」というご回答(^^;
そうです。やっぱ、経験者と一緒に歩くことが一番楽しいんだというコトがはっきりした!わけです(^^;
たとえば、高屋さんが作成された冒頭のジオラマ、茶臼山城なのですが、山城の特徴である「堀切(尾根の連なりに人工的に堀を堀り、尾根づたいの敵の侵入を防ぐしくみ」がしっかり作られています(縄張図でもそのようになっております)。
改めて高屋さんジオラマ。堀切部分は矢印部分です。
これをもとにですね、茶臼山を眺めてみるとこうなります。
そういわれると一目瞭然! あの茶臼山のくぼみは、山城造成時の堀切だった!!
こっからは、さらに深層に山城の見方をご指南。一つ一つをつぶさに見歩くとこうなります。
高屋さんがお持ちいただいた山城調査の写真をいくつかご紹介させていただきますとですね、
瀬戸山城(国道54号飯南町役場近く)の石垣跡。これはまだわかりやすいですね
これも瀬戸山城の石垣跡。石垣の出隅の部分とのこと。これは、そこにそれだけあったらわかんないかも。。
これ勝山城の土塁の様子。わかりますでしょうか(^^???。 左側の盛り上がっている部分です。この土塁で実際に戦いが繰り広げられていたのです。
これ勝山城です。斜面に人工的に造成された、敵が山城に上りにくくするための「畝」の様子。もう、普通の山の中にしか見えない(笑)。そう、修行が足りないのです(笑)
ちなみに瀬戸山の石垣は、堀尾吉晴時代に改修がなされており(出雲入城の際に、遠くから攻めてこられるのを迎え撃つための支城として、再整備されたらしい。戦国時代、けっこうグローバルな陣地合戦ですよね。)、その時に石垣がつくられたとのことです。
そのほか、富田城、三刀屋城など、たくさんの山城を紹介いただきました。
話は尽きない島根の山城話! 今日もまた あっという間に時間となり、やっぱり、時間が足らず(笑)、暖かくなったら改めて高屋さんにガイドいただこうということで、11月のサロン、ワイワイと締めとなった次第です。
今回も、松江の、出雲の、島根の本当に面白いネタを教えていただきました。
意外と近くにある山々にも、面白いネタが満載! ぜひ、暖かくなったら 散歩がてら歩いてみましょう!
ということで、11号サロン 無事にお開きとなりました(^^
ご参加いただきましたみなさま、しゃべり手の高屋さん ほんとにありがとうございました~
※今年のサロンは 今回を最終とさせていただきます。
ご参加いただきました皆様、そしてしゃべり手となっていただきました皆様、本当にありがとうございました。
平成27年もパワーアップして開催画策中(2月ごろから??)。 面白さもユルさ(笑)も、パワーアップできればいいなぁ(笑)と思っております。
こうご期待くださいませ。